写真  8/1〜15  南インドのヨーガ道場遊学と
ギリシャ神話の探求・イタリアの聖地をたずねて - 1/9頁
  2001年09月30日  
  東京都 板橋区
東京都 豊島区
荻山 貴美子
大空 和子
 

8/2     ラーマ・チャンドラ・ミッション (インド)
(荻)
ラーマチャンドラミッション
  
  【ラーマ・チャンドラ・ミッション】はサハジ・マールガ(自然道)というシステムを用いて実践しています。

  神はシンプルなものであるが故に神に近づく道もシンプルなものでなければならないというのがポリシーです。

  メディテーションをとおして、又スピリチュアル・マスターのサポートによって人間の精神は最高へと到達することができると説きます。
  ・ ・ ・ ・ ・
   ラーマチャンドラミッション (荻)

  ここでは、伝道は人間形成のための神聖なエネルギーの利用と定義されます。

  シュリ・ラーマ・チャンドラは1933年に亡くなっています。
1945年にこのミッションが設立されました。
現在は三代目のマスターとなっています。
(大)
ラーマチャンドラミッション
  
  ・ ・ ・ ・ ・
  つまり神は常に理解できる範囲に位置しスピリチュアリティが求める神と一体になることは可能なのです。

  通常、メディテーションは多くの初歩的順序が必要とされると思われています。
しかしサハジ・マールガはその反対で、メディテーションは至極簡単なもので、準備等は全く不必要である。
メディテーションそのものが心の準備であると言います。
メディテーションによって心を一つの考えに集中させ、その他諸々の思考は一つずつ取り去られると力説します。



(文:「ヨーガまんだら」講座資料より抜粋)






 
  東京都 三鷹市
東京都 新宿区
佐久間美津江
浅野 弘子
 

8/3     オーロビンド アシュラム (インド)
  
オーロビンドアシュラム
構内は撮影禁止  
(佐)



  「いかなる宗教も同一の道につうじる」と説いたオーロビンド・ゴーシュ。

  近代インドの哲人のなかで、その著書が欧米で最も多く読まれ、研究されている。

 

8/5     ヴィヴェーカーナンダ ロック (インド)
(浅)
ヴィヴェーカーナンダ ロック
  
  「すべての宗教は、異なった道をとおって同じ神に向かう」と説いたラーマクリシュナ。

  その教えを伝え、国際的に大きな影響を及ぼした高弟・ヴィヴェーカーナンダが瞑想をし、悟りをえた岩の上に造られた、記念堂と寺院造りの建物。

   ヴィヴェーカーナンダ ロック (浅)

  建物内部にある瞑想室の正面にはオームの文字が静かなエネルギーを放っている。



(文:なごみ) 


  東京都 三鷹市
東京都 豊島区
佐久間美津江
大空 和子
 

8/6     シヴァギリ僧院 (インド)
   シヴァギリ僧院 (佐)

  【シヴァギリ僧院】は4年前に再び訪問することをお約束した場所でした。(ヨーガの四季 34)

  この僧院は、イスラム教の人によってオープンされました。
インドの大統領だった人です。
ですからヒンドゥ教であるとかイスラム教であるとか、さらにカーストにも全く関係ないことが一番良く分かる場所です。

  「素朴な僧院ですが大自然がいっぱいの場所です。
美しい景色や静かな場所で、自然に神様の力を感じるのです。
だから何も聞く必要はありません、何も話す必要はありません。
ここにいれば力を感じることができるのです」
      と、ご案内してくださったスワミのお言葉が印象的でした。
 


8/7     シヴァーナンダ・アシュラム - ネヤームダム校 (インド)

  【南インドのシヴァーナンダ・アシュラム(ネヤームダム校)】はスワミ・ヴィシュヌデーヴァーナンダが開設したアシュラムです。
(大)
シヴァーナンダ・アシュラム
  

  スワミ・ヴィシュヌデーヴァーナンダはスワミ・シヴァーナンダの弟子であり、スワミ・ヨーガナンダに続いてアメリカに布教へ出向き、 香港、カナダなどにもアシュラムを設立しました。

  現在、ネヤームダム校のマスターはアメリカ人のスワミ・サティヤーナンダです。 ・ ・ ・ ・ ・

『 ・ ・ ・ ・ ・
 私たちはいつも幸福の世界にいます。普段はそれに気づいていないだけです。
ほかのものが入り込むからです。
入り込んだものだけを取り除くのがヨーガなのです。
あれもいらない。これもいらない。しかしひとつだけ必要です。
それは「神(真実)」です。』



     (文:「ヨーガまんだら」講座資料より抜粋)

  東京都 三鷹市 佐久間美津江  

8/8     クリシュナマーチャーリヤ・ヨーガマンディラム (インド)
  
デシカチャー師

  【マドラスのクリシュナマーチャーリヤ・ヨーガマンディラム】は デシカチャー師が始めました。 彼の師は父親であり偉大なヨーギーであったクリシュナマーチャーリヤ師です。

  クリシュナマーチャーリヤ師は100年以上生きていたヨーギーでした。 彼は南インドの有名なヨーギーであるナタムニの弟子でした。
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ヨーガマンディラム   

  このアーシュラムでは、ハタ・ヨーガの技法をすべて、パタンジャリのヨーガ・スートラをベースにして解説しています。
例えばタパスとは身体内の汚物を除去し、外的、内的な環境に適応するための行為でありアーサナやプラーナーヤーマはタパスであると説いています。
勿論ハタヨーガ・プラディピカーやゲーランダ・サンヒターを無視しているわけではありません。
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パタンジャリの祈り

ヨーゲーナ チッタッシャ パデーナ ヴァーチャーム
マラム シャリラッシャ チャ ヴァイディァケーナー
ヨーパーカロッタム プラヴァラム ムニーナーム
パタンジャリム プラーンジャリラナトスミー

ヨーガによって心を清め
文法によって言葉を正し
医学によって病をのぞきし
偉大なる聖人パタンジャリに礼拝を捧げます

(文:「ヨーガまんだら」講座資料より抜粋)

  東京都 三鷹市 佐久間美津江  

8/8     佐々井 秀嶺 上人 (インド)

佐々井秀嶺上人   
  岡山県出身
1960年 高尾山薬王院において得度
1965年 強い求道のもとタイへ渡り、タイ禅(特にパクナーム禅)指導資格を得る
1967年 日本山妙法寺教団を頼りインドへ
多宝山(ラトナギリ)で菩薩道実践を決意
1968年 「我は竜樹なり。
  汝速やかに南天竜宮城へ行け。
  汝の法城は我法城。
  我法城は汝の法城なり。
  南天鉄塔もまたそこに在り。」

のお告げを受ける
南天竜宮城(ナグプール)へ
野に伏し、山に伏し、裸足で托鉢をしながら荒行を続ける
指導者アンベードカルを失った仏教徒の信頼を得、更に多くの不可触民を仏教徒へと導く
1982年 アンベードカル入滅式典の導師を務める
1992年 大菩提寺奪還闘争始める
現在は精力的な改宗運動のほかに、
診療所、病院、孤児院、養老院などを設立し不可触民を救い続けている
また、新たに大乗仏教創始者ナーガルージュナ(竜樹)の根本道場遺跡発掘を開始
発掘品は「竜樹菩薩博物館」を建設し展示

(文:なごみ)

  茨城県 日立市 三浦 明子  

8/11     サン フランシスコ 大寺院 (イタリア)
  
サンフランチェスコ教会_正面
朝日に映える正面入り口
  


ステンドグラスやフレスコ画など
沢山の美術品が収められている。  


   サンフランチェスコ教会_裏庭
裏庭には τ の文字が植え込まれている
  


聖フランチェスコの遺品展示室で
「平和の祈り」を捧げる。  


アッシジの聖フランシスコ
        平 和 の 祈 り

ああ、我らが大いなるものよ。
     我をして、おん身の平和をもたらす道具と為さしめ給え。
     我をして、憎悪(にくしみ) あるところに慈愛(いつくしみ) をもたらしめ給え。
     分裂(あらそい) あるところに和解を、
     過誤(あやまり) あるところに真実を、
     疑惑(うたがい) あるところに信頼をもたらしめ給え。
ああ、我らが神聖なるものよ。
     我をして、絶望あるところに希望をもたらしめ給え。
     悲嘆(かなしみ) あるところに歓喜(よろこび) を、
     暗黒(やみ) あるところに光明(ひかり) をもたらしめ給え。
ああ、我らが大いなるものよ。
     我をして、慰(なぐさ) めらるるよりも慰めることを求めしめ給え。
     理解さるるよりも理解することを、
     愛さるるよりも愛することを求めしめ給え。
ああ、我らが神聖なるものよ。
     我をして、与えんがために与えられていることを信ぜしめ給え。
     ゆるさんがためにゆるされていることを、
     おのが身を捧げんがために、
     永遠(とわ) の生命(いのち) に生かされていることを信ぜしめ給え。
(田原豊道 謹訳)
 

8/11     サンタ キアラ 教会 (イタリア)

サンタキアラ教会
  


  白とピンクが美しい大理石造り。

  聖フランシスコに語りかけたという伝説の十字架像がサン・ジョルジョ礼拝堂にある。

(文:なごみ)



  東京都 板橋区
東京都 新宿区
荻山 貴美子
浅野 弘子
 

8/11     アーナンダ アッシジ (イタリア)
  
アーナンダアッシジ構内
(荻)

  日本からのはじめての訪問者として2年前にアーナンダ ワールド (アメリカ サンフランシスコ)を訪問した時、クリアーナンダ老師はご不在でした。 (ヨーガの四季 38)

  この時期アッシジにご滞在とお伺いしてのこの度の訪問でしたが、 老師はリトリートに入っていらっしゃりスタッフの方もお会いしていないとのことでした。

  お目にかかれないのは残念でしたが、スタッフの方々が快く迎えてくだり、 キールタンで歓びを分かち合うことが出来ました。

アーナンダアッシジ
(浅)
日差しは明るく、心地よい風は優しく高原をわたる。
(文:なごみ)



  茨城県 日立市 三浦 明子  

8/13     コリントス (ギリシャ)


  アポロンは、オリンポスの神々の中でも一番ギリシャ性を持つ神で、男性美の典型であった。
  魅力的で強く勇気があり、そして、利口だった。
  彼は太陽と光の神、真実の守護神、弓、音楽(特にリラ)の守護神でもあった。
  また、彼は、病を治し、医学を人々に教えた。
  ゼウスと、タイタンの子レトの息子で、アルテミスと双子だった。
 ・ ・ ・ ・ ・
  アポロンは、ラドン(又は、ペネオス)と大地の娘、妖精ダフネ(月桂樹)に恋をした。
  彼女に対する彼の追跡は、凄まじいものであった。

  この美しい妖精は、彼の求愛を受け入れるより、月桂樹に化す事を望んだ。
  これ以来、月桂樹は彼の聖なる植物となった。


アポロンの神殿





ポセイドンの神殿

アポロンの神殿

 ギリシアに残る神殿の中でも最も古い(紀元前6世紀)ものとされる。
 アクロコリントスの岩山を背にドリア式の7本の柱を残す。
 

8/13     スニオン岬 (ギリシャ)

ポセイドンの神殿


スニオン岬

エイジアン・ブルーのエーゲ海がしだいに金色へと変わり、夕日が沈む。 

(文:なごみ)       
ポセイドンの神殿

  遠くからもよく見えるスニオン岬の突端に、均衡の取れた美しい16本の白い大理石の柱が建つ。 (紀元前444年建てられた)




スニオン岬の入日


  ポセイドンは全ての海の制海権や泉、川湖を保護する力強い神であった。
  海荒れや地震を起こしたりしたので、地震の神とも言われている。
 ・ ・ ・ ・ ・
  ポセイドンが怒ると、風を放ち、暴風雨を巻き起こし、三つ又の鉾で水を掻き回し海を荒れさせた。
嵐を呼び、巨大な津波からは海の怪物が現れ、人々を恐怖に陥れた。
  彼が心安らぐと海は静まり、イルカ達は、紺碧の水に戯れ、美しい妖精ネレイス達が楽しそうに舞った。

「ギリシャ神話」 ソフィア コキヌウ 著より




  茨城県 日立市 三浦 明子  

8/14     アクロポリス (ギリシャ)
  
パルテノン神殿
 


パルテノン神殿


  アクロポリスには古代アテネの栄光を象徴する雄大なパルテノン神殿が建つ。
横31m×縦70m×柱高10m

(紀元前438年に15年かけて完成した)
(現在修復中)


  アテナは芸術全てを保護する女神であり、知恵の女神でもあった。
  彼女は、清潔さと厳しさを持った処女(パルテノン)女神だった。
  彼女の誕生は、特に不思議で、男性のゼウスの頭から武装して生まれたのであった。
 ・ ・ ・ ・ 
  ゼウスは非常に幸せで、オリンポスの海は揺れ動いた。
  アテナは彼の最愛の子供だった。
 ・ ・ ・ ・ 
  市民に最も有益なる贈り物をしたものが領主になれる。
そこで、ポセイドンは、アテネのアクロポリスの頂上に立ち、彼の三つ又の鉾で岩を突き、そこから最初の馬をつくり出した。
(他説では、彼は、塩水の泉をつくったとも言われている。)
  アテナの番がきた。
彼女は槍で地を突いた。
すると、平和の象徴のオリーブの木が生えてきた。
  神々と人間達は、アテナの勝利と審判した。
住民達は、喜んで彼らの都市をアテネと命名した。
  現在にいたるアテネ市は、アテナ女神の保護のもとに偉大な文明を繁栄させた。
「ギリシャ神話」 ソフィア コキヌウ著より


エレクティオン神殿

  


エレクティオン


  パルテノン神殿の北側に、小さいが優美な神殿が建っている。
  伝説の王エレクトゥスは、最初にアテナ女神を崇拝し、 パンアテナ大祭を始めたと伝えられ、神殿にはその名が付けられた。
  6人の少女の像を飾り柱としているが、 カリアティデスと呼ばれるこのイオニア様式の像は模作で、 本物はアクロポリス博物館に展示されている。
  また一体は、大英博物館でみることが出来る。 (紀元前408年に建てられた)

(文:なごみ)


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