悲母観音(遠藤太禅 筆)
“ 観世音 声を限りに ” より
十年近い戦場生活をして、ビルマから帰還してから母は死にました。
戦後の貧しさの中で何もしてあげられなかった母でした。
永平寺三門楼上でおぼえた愁しみの想を抱き、皈ろうとして、何げなく見上げた観音様は、胸の前で合掌してじーっと私を見下ろして下さった。
その眼は決して木像の眼ではなかったのです。
亡き母の瞳でした。
慟哭寸前の微笑をたたえ、うろたえる私を拝んでいてくださったのです。
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